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経営者の優劣によって会社は潰れるのではない〝目標をもって行動するかしないか″だけ・・・最終章

1週間後、高ぶる気持ちを抑えて武田工場長を呼び寄せ、単刀直入に話を切り込んだのです。彼はサラ金については認めました。私が幹部社員の給料のカット及び賞与なしにしたことで、遊ぶ金が少なくなりサラ金に手を出してしまったとのことでした。ここで材料の横領の話をきりだしたのですが、横領だけはやっていないと言い切りましたが、話の辻褄が合わないので多分やっているのでしょう。

私は堀出社長に武田工場長との話をした内容を説明したのですが、「そうですか、工場長を信じていたのですが何ともならない人ですね」の言葉だけだったので激しく叱責したのです。

私の顔が般若になっていたのでしょうね。堀出社長の目が大きくなっていましたから。堀出社長から謝罪の言葉をもらいましたが、いつものように顔を下に向き無言になるのです。

私はこのままではいけないと思い、堀出社長に事務所に席があるのではなく、工場のほうに席を作って移るように話をしたのです。堀出社長はしばらく考えながら、来月でも移ると言ってくれたのですが、ものの見事に約束はまもられませんでした。

堀出社長が工場に席を作ると言って20日後、工場から電話がかかってきたのです。電話を取ってみると商品企画に従事していた主任の田中さんでした。

「川原さんの携帯電話ですか。いきなりの電話ですみません、突然ですがもう会社を退社します。」

「どうしたの」

「社長が雇った新しい工場長の件です・・・・・」

「え、工場長を雇ったって知らないけど」

「雇ったみたいです。その新しい工場長が来たと思ったら現場に行かず、現場を知ろうとせずPCの設定やエクセルやワードの使い方を教えろとそればかりで、業務が出来ない状況です。私が新しい工場長にまずは現場にいったらどうですかと言うと、目の色を変えて怒鳴られるので、もうこの会社にはいたくないので退職します」と泣きながら電話があったのです。

私は電話受けて3日後に工場に行き、堀出社長が雇い入れた新しい工場長と面談するのですが、話を聞くとどこかの会社はしりませんが、早期退社に応じて地元にUターンし、たまたまこの食品加工会社に目が留まり、堀出社長に面談してもらったところ、お互い意気投合して工場長になったとのことでした。

この新しい工場長は業種としては畑違いで何も知らないし、彼は「今まで私はバレーを教えてきた経験をいかせばこの工場も同じように出来ると思う」とことだったので、あまりに無知で教養もないので一喝して話を中断し、その足で堀出社長と面談したのです。

堀出社長は「新しい工場長と面談されましたか、今回新しい人が工場長になってもうことになりましたので、川原さんは再生計画をすすめてもらえませんか」と言われました。

「堀出社長、だいぶ前にもいいましたよね。経営とは何かって、ご自身が今から現場を知り苦労するかもしれないが、みんな申し訳ない苦労させるけど一緒にやってくれないかって、堀出社長が率先されることがさきでないのですか、また今の私の立場は、以前お辞めになった田畑統括部長と同じことになっていますよ。

申し訳ないがコンサル契約ですが今月で終わりにしましょう。自ら率先せず全て他力本願でどうやって経営をやっていくのですか?これ以上私がかかわると貴方は甘えるのでこれで終わり」と宣言して各部の責任者を集めて最後の指示をして終了したのです。

その後の話によると、新工場長は堀出社長に聞こえのいい話ばかりしていたらしく、堀出社長にとっては居心地が良かったのでしょう。逆に従業員に対して毎日傍若無人なことをしたため、日を追うごとに従業員達が退職していったようです。この状況を気づいたときには時すでに遅しだったようです。

新工場長は堀出社長の知人の弁護士によってわずか6か月で退職させられました。

また資金面や組織面については緩やかな改善はしていたものの、新工場長によって内部統制がくずれ、資金的も悪化したため、以前私が作成した企業再生計画書通りに金融機関によって実行され、資金が足らない部分はすべての資産の売却を余儀なくされたとのことです。

さて、皆さんいかがだったでしょうか?このような企業って本当にあるのかと疑問におもわれるでしょうが、こういった企業は世の中にはたくさんあるのです。

この企業はすでに末期で金融機関がチャンスを頂いたにもかかわらず、そのチャンスを潰してしまったのです。今回、堀出社長だけがクローズアップされましたが、では6代目の社長の時、いや5代目の時に人の育成をしていたのなら、また違った形になっていたことでしょう。

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