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社長の罪、幹部社員を育てなかった! 悲惨な後継者の末路

経営者や後継者にはぜひ読んでもらいたい。

なぜなら、現社長が幹部社員を育てなかったために、悲惨な状態で後継者が後を継がなくてはいけないからなのです。

私は、経営コンサルになって23数年以上もやっている中で、コンサルが出来なかった会社が過去1社あるのです。どんな経営状態でも、夜逃げした会社でも、自信を持って改善して行くのですが、いくらやっても出来なかったのです。

なぜ、この話をするかと言うと、先般、オンラインセミナー終了後、携帯電話の着信がなったので、その表示をみたら、とある会社の専務からの電話でした。この会社は13年前に最後まで全力を尽くしましたが指導が出来ずにいた会社なのですが、毎年、その会社の専務から電話がかかってくるのです。

専務と言ってもその会社の社長の母親で「川原さん、ちょっといいですか?」から始まり現社長に対しての悩みを言ってくるのです。

ここ1~2年の悩みは、コロナ禍での売上減と社長の嫁の件での悩みでした。社長の嫁も社長の補佐を一生懸命やってはいるものの、社長の嫁としてなのか、従業員に対しては上から目線で話をしたり、指示命令をすることが多く、最後は一つの部署を潰してしまったのです。

 専務からしたら先代社長と二人三脚で一生懸命作り上げてきただけに、文句の矛先が息子の社長に言うのですが、一向に話をきいてはくれず挙句の果てには、給料の減額と専務から顧問という立場に追いやられたそうなのです。

ここでは専務といいますが、その専務も今の状態では会社が潰れてしまい、社員を路頭に迷ったり、社長に借金を背負わせたりしないように、M&Aをしてくれる会社に相談したりはしたものの、息子の社長は「親父が作った会社を売りたくない」という強い思いで専務の提案を拒否するのです。

この繰り返しを「川原さんどうしたらいい」という電話がちょこちょこかかってくるのです。

一度かかわっている会社なので、専務の話を聞いてあげられるしかないのですが、社長の行動や指導力を見る限り、コロナに関係なく、そう長くはないでしょう。

ここまでの話を読んだ人は、後継者の問題だろうと思われることでしょう。確かに後継者の問題はあるのです。

ただ、後継者を何とか教育さえできれば、後は何とか出来るだろうと思っている経営者がいるとしたならば、それは大きな間違いだということに気が付いてほしいのです。

どの会社でも言えることは幹部社員が育っていない会社ほど、後継者の器によって大きくもなり、小さくもなるのです。

ただ今回の話は特殊かもしれません。

先代の社長は息子の現社長が入社した数年後、これからだと言うときに癌で亡くなってしまいました。

ここからが息子の社長が悲惨な末路を辿ってしまうのです。

ある工業会社の記録である

先代の死を経て――数年ぶりの邂逅 件の会社は、今から 10年前に事業承継のため、私が2年の期間指導に入った岐阜県にある総合電機会社である。

事業年 数は創業から40年、事業規模は20億(当 時は4億前後)、一般電気事業部と太陽光 事業部の2事業部からなっている。

従業 員は合わせて約 40名、もともと創業時は 一般電気事業部のみで、従業員も確か10 名ほどしかいなかった。その後、先代社 長が「儲かる仕事」として見つけてきた のが太陽光の設置工事であり、数年後に 軌道に乗った太陽光は、やがて太陽光事 業部として会社の発展を大きく牽引したのである。

この社名を仮にあいうえ工業株式会社としよう。

主要人物は、創業社長である田代社長(他界)、先代社長の妻の田代専務(当時 62歳)、二代目である田代剛社長 (当時 27歳)、太陽光事業部工事1課兼 任水木常務(剛社長の姉婿、当時 41歳)、 以上の経営陣と一般電気事業部高杉部長 (当時 39歳)、工事2課田中課長(当時 41 歳)、工事3課水野課長( 45歳)、工事4 課高畑課長( 48歳)、以上の幹部社員5名 である。

それは私が大手コンサル会社を退社し、 自ら会社を立ち上げ、初めてセミナーを 行うという時であった。

セミナーの題目は「淘汰されていく中小企業、問われる企業力」。設立時であり、また初めてのセミナーなので、大々的なものにするつもりはなく、過去名刺交換した企業の方々を中心に声をかけ、銀行役員や支店長、融資課、企業の会長や社長、後継者、役員など、様々な職業、肩書きの役職者方、 30組 42名がセミナーに参加した。

セミナーは、約3時間、最後の 30分は絶えない質疑の応答に終わり、終了時を迎えても参加者が質問を持って私のもとに詰めてくださるほどに白熱したものになった。

講義を終えて白板に書いた字を消していると、年配の女性と彼女の子息と思しき若い男性が私に近寄り、年配の女性の方が私に「お久しぶりです、川原さん」と声をかけてきた。その女性は私がコンサルになって3年目に、当時4人の若手 管理職者の教育をするためのコンサルの契約をさせていただいた、あいうえ工業会社の専務であった。

が、しかし、この会 社とは一旦契約するも、先代社長の再入院のため、のちに契約破棄となった。 「川原さん、ご無沙汰です。覚えてますか?」

ああ、田代専務、ご無沙汰ですね。この前電話した時の声もそうだけど、久しぶりに会うと昔を思い出しますね」「本当に。あなたは相も変わらず勢いがありますね。

これ、息子です。剛といってね。今社長をやらしてます」 ここでご子息と名刺交換をしたが、名刺の肩書には確かに代表取締役とあった。

「先代社長はどうしたの?」「実は、亡くなったのよ。それから色々あったの。川原さん、今度事務所に遊びに来てくださいよ。話したいことがあるので……」 そう言われて、すぐに伺う日程を決め、その日の邂逅はそれで終わった。

この続きは後ほど、タイトルは「踏みにじられた肖像画」です。

私は名古屋経営コンサルタントとして23年間、延べ3000社以上の経営者のお悩みを改善してきました。今はコロナ禍ですが、オンラインでの経営相談を開催しております。どうぞ遠慮なくご相談ください。お待ちしています。

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