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社長の罪、幹部社員を育てなかった! 悲惨な後継者の末路 ~変わらない経営者  優秀な社員は辞める~

自分の事務所で作業をしていると、携帯電話が鳴った。

画面を見ると、表示されているのは高杉部長だった。基本的にアドバイスや確認事項があると、私のほうから電話をかけるので、クライアントからかかってくる電話はほとんどない。それもあって、その着信には嫌な予感を持った。

「川原さん、今話せますか」

「どうしたの?」

「川原さんが来て2年目に入ったでしょう?一般電気部門も黒字になって、原価管理や社内ルールも整ってきた。社員も意識が変わった。それでも社長や専務の意識は変わらない。この前、仕事が早く終わって会社に戻ると、社長と専務がいたから、2人を呼んで今後の会社の方向性や考え方を聞いたんだけど、社長は相も変わらず方向性を示さない。そうかと思えば専務が社長の代わりに話し始めるけれど、何を言っているのかさっぱり理解できない。川原さん、僕たちこんなことをもう何年もやっているんだわ。いい加減疲れた……」

「内容は分かった。1回、社長と田代専務と話してみる。また連絡する」

会社の改善は経営者の意識が変われば、たとえ幹部社員や社員の意識が変わらなくても、なんとかなる。が、しかし部下の意識が変わっても、経営者の意識が変わらない場合というのは最悪なのである。

私は高杉部長の話を聞いて、すぐさま社長及び田代専務とアポをとり、経営者としてどうしていくのか、太陽光部門はこのままでいいと考えているのか、改めて もう一度話すことにした。

「前から言っているけれどね、今一番考えなくてはいけないのは、会社のトップとしての在り方だよ。現場の幹部社員は自ら営業に行き、自ら工事をやっている。 また太陽光事業部の幹部も問題はあるものの、それでも協力業者会議に参加したり、情報交換までやっている。社長はどうなの?田代専務もご高齢で、いつまでも専務のままではいけないし、事務員も高齢になってきているよね。一般電気部門は原価管理や諸ルールができたけど、太陽光部門はいまだにできていない。この根本の問題は社長や田代専務が解決しないといけないよ。どのようにしていきたいか、方針を出してください」

私はこれまでになく、2人に詰め寄った。社長も田代専務もまずは無言、そして、その後いつものように社長の「やります」というひと言が返ってきただけだった。

この会社の問題の根は、確かに先代社長の急死から始まり、高校を出たばかりで社会経験もない社長が社長の座に収まったことに端を発している。教育されていない幹部がいくら社長を支える、と言ったところで、現場の観点から支えることはできても、経営者としての支えになることはできない。

田代専務にしても肩書きを専務と言ったところで、前に出て経営ができるわけではなく、銀行主催のセミナーに参加したりなどして聞いた話を鵜呑みにし、社長に助言するばかりなのだ。これでは、利益が出ているとはいえ、2人の意識に改善がなければ 会社の改善も難しい。

痛恨の損失、そして天敵との酒席

「社長、前にも言ったけど、社長が2つの事業部をみることはできないよ。一般電気部門は高杉部長に役員になってもらって、社長は太陽光部門を見ることにしたらどうだ。それもただ見るだけではなくて、協力業者会に参加したり、元請に対しての営業関係をしたら……」 こう話をしたが、一方通行で打ち合わせは終了してしまった。

そして、何も決まらなかった。ただ明らかだったのは、 社長と私の間に溝ができたということだった。幹部社員やその他の社員たちにさまざま言われて苦しんできた数年間があり、そこに現れた私という味方の存在で、 この1年数カ月は多少なりとも針のむしろにいるような気分は薄らいでいただろ う。

ところがその味方にまで突かれたくない急所を突かれてしまったのだから… … そしてある日、田代専務から連絡がはいる。

「川原さん、高杉部長が会社を辞めるといってきたのだけど、どうしよう」

「……理由は?」

「ただ単に辞める、と言ってるの」

私はすぐに高杉部長に連絡し、会う手はずを整えた。

「どうしたん、高杉部長」 「川原さん、もう駄目だわ。会社には迷惑かけないようにしていくから……。川原さんには沢山教えてもらったし、川原さんがいてくれた間すごく充実してた。 ただ色々と見えてきたからこそ、社長と専務に対して生理的に合わなくなった。 辛い」

私は 彼のこの言葉で限界を感じとった。引き留めることはしなかった。一言二言会話をしただけだった。それ以降、高杉部長と会うことはなく、彼は有給を消化し、2カ月後に退社した。 高杉部長が退社してからというもの、 私自身も限界を感じていた。

社長が経営者たれるよう色々と提案や改善を行ってきたが、太陽光部門と社長、田代専務の意識や考え方は変わらない。私はどの会社も手を抜くことなく一生懸命にやってきた。他のコンサルがやらないようなこともやってきた。そういう自負がある。

色々な話を社長や田代専務にするのだが、なかなか行動に移してはもらえない。 そして何かを提案する度に社長との間に溝ができているのも事実であった。田代 専務に至っては会社第一でもなく、社長第一という考えであるため、話は聞いても行動に移すことはない。

私は2年目の決算期を迎えたら、コンサル契約を終了させてもらおうと考えていた。そう決めた私は、太陽光部門の工事部2課の田中課長との話し合うことにした。

彼は前述の社長と対座で「俺の給料をあげろ」と恫喝していた男だ。しかし毎月毎月打ち合わせを重ねているうちに、少しづつではあるが協力的な発言をしてくれるようになっていたのだ。 私は仕事終わりに1杯やろうと彼を誘った。彼は応じてくれた。場所は彼の家の最寄り駅近くの居酒屋に決めた。

その酒席では、この1年数カ月のこと、幹部社員としての心構え、先代社長との思い出など、ふたりで語りに語りつくした。 私が指導に入って2年目、それでも3 人の幹部社員には、やはり聞く耳を持たない傾向があり、私の発言にはすぐに反発してきていたのだが、驚いたことにこの田中課長との会話こそが後々ボディブ ローのように効いてくるのだった。

1杯目のビールを空けた田中課長が話し始めた。

「川原さん、俺にも会社を何とかしたい という思いはある。多分、他の幹部も同じだと思う。しかし肝心の剛や専務がなんともならない。剛が一生懸命やっている姿を見かけたのは始めの1年ぐらいで、その後は分かったつもり、失敗しても反省することはない、仕事は分かったふりをする。注意したり叱ったりすると専務が止め入る。なぜ叱ったり、なぜ注意しているのかを専務は分かろうとしない。

それなのに社長は社長なんだから……。 川原さん、社長なんだから、仕事を覚える、覚えないは関係ないっていうことはないでしょう?俺には子供が3人いる。末っ子は身体障害者だ。その子の将来のために一生懸命お金を貯めないといけない。会社が倒産してしまったらと思うと不安で仕方がない。協力会社の社長と話すことがあるが、その社長が俺らに、 お前んとこの社長は元気なのか、たまには協力業者会に参加させないといい仕事もらえんぞって。そう言っとけって……。 恥ずかしいのと悔しいので胸がいっぱいになる……」

その胸の内を聞いた私は田中課長に、 再度、社長のこと、田代専務のこと、会社の状況、毎月打ち合わせしている内容について話合いをするのに協力するということを約束した。約2時間程度であったが、会計し居酒屋を出る際に私たちは固く握手を交わし、その場を後にした。

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