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社長の罪、幹部社員を育てなかった! 悲惨な後継者の末路~踏みにじられた肖像画 ~

1週間後、私はあいうえ工業を訪問した。

季節は初冬、風が冷たく感じられ始 める頃であった。 数年ぶりの事務所の雰囲気や匂いは変わっていなかった。

事務員に会議室に通され、数分待っていると田代専務だけが入室し、私たちは昔を懐かしむようにひとしきり当時の話に花を咲かせた。

「当時、川原さんのとこでした管理者教 育の契約、破棄してごめんね。実はあの時、社長が緊急入院してね。その2週間 後に亡くなったのよ」当時、私はなぜ契約が破棄されたのか知らなかったため、初めて聞かされた理由に驚きを隠せなかった。

「何、田代専務、あの契約の後に先代社 長が入院してたの?」 「そうなのよ。先代社長、実は癌になっていて……。一時期は自宅療養するために家に帰ってたのよ。考えたんだろうね。

多分、体がもたないって。

だけど、問題はそれこそ山積してはいたけど、死んだ ら誰が会社を継いでくれるのかって、何を置いても当時の若い幹部社員を教育しておかないと後が大変だと思ったんだと思う。

それで病をおして川原さんとこで 管理者教育を契約したのよ。だけど、契約した次の日、急に吐き気があって、すぐ病院につれていったけど、その2週間 後に亡くなったの」「田代専務、大変だったね。それで、どんなふうにして息子さんが社長をすることになったの?」

「先代社長が亡くなってしばらくして、誰を社長にしたらいいか、幹部社員と話をしたんだけど、皆が剛にしましょう、我々が守っていくので、って強く推すから、剛に決まったのよ。私としては高校 卒業してまだ5年しか経っていない若さで、不安がなかったわけじゃないけれど、 現場のこともようやく分かるようになっていたし、まだまだ早いとは思ったけど、 本人も親父の会社を継ぎたいというし、 幹部社員が支えてくれるのなら、と継が せることになったのよ。

ただね、初めの数か月はよかったのだけど、日に日に幹部社員たちが剛の言うことを聞かくなってしまって……。 そうだ、川原さん!一度私たちの会社のコンサルをしてよ」本来なら私は話をもらったその場で仕事を引き受けるようなことはしない。

一 度持ち帰って考える、と返答するのが常なのだが、この時この会社だけは、なぜ かふたつ返事で請け負ってしまったのだった。その後、後悔することになるのだが……

この事務所の他に、太陽光事業部の事 務所が違う場所にあるの。一度見に行きません?川原さん、車でしょう、私の車についてきて下さる?」 1時間ほど走って立派な事務所についた。

事務所には社長がおり、そこで軽く挨拶をした。「それにしても立派な事務所ですね。敷地も広い。内装、器具機材も立派なものばかりだ。社員さんもさぞ喜んでいるでしょうね」 私はそう田代専務に話しかけながら事務所内を見渡した。ふと、壁を見るとそこに先代社長の肖像画が飾ってあった。何か違和感を感じ、 よく見ると、先代の顔にいびつな髭があった。私が一番最初にお会いした先代社長は髭を生やしていなかったはずだ。

「田代専務、先代、髭なんて生やされてましたかね?」、そうと訊くと、田代専務は不思議な顔をして、「先代社長に髭なんかないわよ。どうしてそんなこと聞くの?」と私の近くまで来て、彼女もその肖像画に目をやった。 突然のことであった。田代専務が泣き崩れたのだ。社長も、駆け寄って肖像画 を見た瞬間、顔色をなくした。私には彼 が激昂しているのが分かった。

この時には先代社長の肖像画に髭を描いたのが誰なのか、私たちには分からなかったのだが、後日犯人が幹部社員の1 人、工事4課高畑課長であったことが判明する。

彼がそんなことをした理由については後に聞かされることになるが、その時、事務所内では髭を描き足された肖 像画に誰しもが視線を注ぎ、そして誰しもが薄笑いをしていた。 憔悴しきった田代専務と剛社長に対して、かけてやる慰めの言葉を見つけることもできず、2人が落ち着くのを待ち、 コンサルに入る前に社内調査をすること を告げ、私はその場を後にしたのだ。

つづく 次回は―白紙のアンケートです

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