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教育とは流れる川の水に文字を書くが如くむなしいものだ、、、、しかし

「教育とは流れる川の水に文字を書くが如くむなしいものだ」この言葉は哲学者あるいは教育者でもある、森 信三先生の言葉である。

私は多くの経営者と話をする機会があるのですが、その中で経営者が必ず言われるのが「うちの社員達は教育しても教育しても覚えないし成長しない」と言われ、そのたびに森 信三先生の言葉を思いだし、その言葉を伝えています。

学校で言えば算数とか国語とか理科など、学校で学ぶ事であったり、仕事であれば知識的な教育は教えれば覚えてくれるのですが、人として大切な倫理的なことや道徳的なことは教えても中々真剣に覚えてもらえないのが現状です。

確かに「子供じゃないのだから、一度言ったら判るだろう」と思う人がいますが、それは逆で、大人であればあるほど何度も何度も教え続けなければ理解してもらえないのです。

人は幼少のころから近くにいる両親から日常的な常識非常識を学び、大人に成長する過程で様々な人と出会い、良いも悪いも経験しながら人格を形成されて社会にでるのです。

社会にでると過去に学んだ経験が、働く場である会社では修整され、仕事を通じて社会的ルールや規範などを体で覚え、人としての価値基準を持って、何事も判断し行動していくのです。

しかし、残念なことは、仕事する上での知識や技術を学び経験したとしても、人としての倫理や道徳を学ばなければ、人の話を聞かない自己中心的な存在となり疎ましくなるのです。

なぜ、そのようになるのか。

それは、若い時に人生となる師匠に出会っていないからです。

数百年前は、人はどのように生きて行けばいいのかを教える師匠は、寺小屋かあるいは人が書いた書物を書き写しながら人が生きる道を教えてもらっていたのです。

では現代はどうでしょうか。

インターネットの技術によって生活面においては便利になり、欲しい情報はいとも簡単に手に入るようになりましたが、それと同時に間違った情報や誤認するような事が多く存在し、何が真実なのか分からない環境の中に我々はいます、しかし、人生について教える師匠って身近にいるのでしょうか。

冒頭でも言いましたが、我々は出会った人によって人生は左右されます。良い人に出会いれば正しき道を教えてくれる人がいるでしょう。逆に良くない人に出会えればその道を進むことだってあることでしょう。その分岐点は若い時に人生の師匠に出会えるか否かなのです。

また人は、過去に歩んだ経験の範囲でしか物事の判断ができず、未来を悲観するのです。だからこそ、大人であればあるほど、何度も何度も教え続けなければいけないのです。

この森 信三先生の「流れる川の水に文字を書くが如くむなしい」と言う言葉の後に、「しかし、岸壁に文字を刻むが如くやり続けなければならない」と続けられているのです。

人に物事を教えるということは、相手が理解し行動するまでは大変なことですが、教える側が岸壁に文字を刻み続けなければいけない事なのです。

しかし、よく考えてみれば我々だってそういった時があったはずだと言うことを理解しなければいけません。

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