
――「人の辞め方」に経営の本質が出る
「また辞めてしまった。しかも、あいつはデキるやつだったのに……」
これは、多くの中小企業の経営者が抱える悩みの一つだろう。
採用の苦労を乗り越えて、ようやく来てくれた“戦力候補”が、期待していた矢先に離れていく。しかも、一番辞めてほしくない“優秀な人”に限って、辞めていく。
そんな繰り返しを経験していない経営者の方が、むしろ少ないのではないか。
だが、私は思う。
この問題の本質は「人材の質」ではなく、
その人が育ち、活躍できる“器”が会社にあるかどうか、
つまり**“組織の土壌”にこそあるのではないか**、と。
ある介護事業所で、現場を長年支えてきた中堅スタッフが退職を申し出た。
彼女は職場の人間関係にも恵まれており、上司とも良好な関係だった。
だが最後にこう語った。
「この先、自分がここでどう成長していけるのかが見えなかったんです。
仕事自体は好きでした。でも、“これ以上この場所にいても、自分は変われない”と感じてしまって」
本人に不満があったわけではない。
逆に、「人間関係がいい」「待遇もそこそこ」「居心地が悪くない」――そんな組織だった。
それでも彼女は静かに会社を去った。
一方で、地方の製造業の小さな町工場では、こんな話がある。
新卒で入った若手社員は、最初は機械の扱いもおぼつかず、作業効率も悪かった。
だが、上司はその努力と工夫する姿勢を見逃さなかった。
毎週のミーティングでは、失敗も含めて一つひとつ成長の軌跡を共有し、改善点を一緒に考える場を設けた。
「うちでは、“やってみたい”と言ったら、まずやらせてみることにしてるんです。
結果が出るかよりも、“自分から動く”ことを評価する文化を、意識して作ってます」
この会社では、特別なスキルを持った人材が集まっているわけではない。
だが「普通の人」が育つ。伸びる。自信を持って仕事に向かう。
人材が会社を選ぶ時代。
そして、会社もまた「人が根を張れる場所」であるかが、これまで以上に問われている。
辞める理由を人に求めるのではなく、残る理由を会社が備えているか。
その問いが、経営者に突きつけられているのではないだろうか。
そして私は、これまで数多くの会社を見てきた中で気づいた。
業種や規模にかかわらず、「優秀な人が続かない会社」には、いくつかの共通点がある。

優秀な人が辞める会社には、共通点がある
私はこれまで、さまざまな業種や規模の会社を見てきた。その中で、「優秀な人が続かない会社」には明確な共通点があると感じている。彼らが辞めていく理由は、決して本人の能力不足や意欲の問題ではなく、会社の「環境」にこそ原因が潜んでいるのだ。
まず一つ目は「裁量が与えられない」ことだ。
細かく決められたルールやマニュアルに縛られ、自由に考えたり工夫したりする余地がない。上司や経営者から「それは違う」「うちはこうだ」と押しつけられることが多いと、自分の判断や行動に意味を見出せなくなる。優秀な人ほど自分で考え、自ら動くことを望むため、こうした窮屈さは耐え難い。
二つ目は「評価が曖昧で偏っている」ことだ。
売上や数字ばかりが評価基準になる場合や、社長のお気に入りかどうかで判断されるなど、公正さを欠く評価制度は組織の士気を削ぐ。努力や成長の兆しが見えなくても、ある日突然評価を下げられるという不安は誰もが感じるもので、優秀な人ほど敏感に察知し離れていく。
そして何より、「この会社では自分が成長できない」という空気が蔓延していることだ。
優秀な人は自分の成長に貪欲だ。
- 今、自分は新しいことを学んでいるのか?
- この先、この会社でどんな経験を積めるのか?
- ここでの経験が自分のキャリアにプラスになるのか?
これらの問いに「YES」と答えられないなら、優秀な人は静かに、しかし確実に会社を離れていく。
一方、「普通の人」が育つ会社は何が違うのか?
世の中には、入社当初は特別なスキルや才能を持っていなかった「普通の人」が、数年で中核人材に成長している会社もある。そうした会社には、共通して「人が育つための仕掛け」と「組織の空気」が整っている。
まず、「ミスを許容する文化」が根付いている。
完璧さを最初から求めず、挑戦と失敗を歓迎し、そこから学ぶ余白をしっかり設けている。この環境が、挑戦意欲を失わせず成長のチャンスを生む。
次に、「理念が深く浸透している」ことだ。
目先の利益だけを追うのではなく、「なぜこの仕事をするのか」「誰のために働くのか」という根本的な意味が経営者から社員一人ひとりまで共有されている。これが社員の仕事への誇りとやる気を支えている。
さらに、「小さな成長を見逃さないマネジメント」が存在する。
ちょっとできるようになったことや、気づいたこと、言葉にした瞬間を丁寧に拾い上げる上司や経営者がいるため、本人も自信と実感を持って成長できる。
そして「任せる文化」がある。
「育てる」というより「信じて任せる」ことが大切にされている。手を出しすぎず、責任を持たせることで、本人の自覚が芽生え、成長の推進力となっている。

経営者が見るべきは「人」ではなく「土」である
優れた人材を探し求める前に、自社という“土壌”の状態を見直すべきだ。
会社が硬く、乾いていて、栄養もなければ、どれほど能力ある人材も根を張れずに枯れていく。逆に、平凡に見える人材であっても、温かく、耕され、肥えた土に根を張れば、やがては立派に育ち、実を結ぶ。
ここでいう“土”とは、ただ制度や待遇といった目に見える仕組みだけではない。
そこに根を張ろうとする人が、安心して挑戦できる空気があるかどうか。失敗しても否定されず、学びに変える余白があるかどうか。小さな変化や努力に、誰かが気づき、声をかける文化があるかどうか。
人が成長する環境とは、決して派手ではない。
だが、それは日々の積み重ね――「どう関わるか」「どう任せるか」「どう信じるか」によって、着実に耕されていく。経営者や上司がどんな眼差しで人を見つめ、どんな言葉をかけ、どんな問いを投げかけるか。そこに、その会社の“土の質”が表れる。
だからこそ、経営者が見るべきは、人そのものではない。
「この人はダメだ」「育たない」と決めつける前に、「この土で、この人は育つのか?」と、自問しなければならない。
人が育たないのではない。
育つ前に、根を張る前に、静かに枯れているのだ。
そしてその原因を“人”に見出すか、“土”に見出すか――その視点の違いが、経営の分かれ道になる。
人材難と嘆く前に、自社が本当に人材の力を引き出せる組織かどうかを見直すこと。
育つ土壌のない組織に、いくら種をまいても、芽は出ない。むしろ、次々に種を失うだけだ。
優秀な人を探すのではなく、誰もが根を張れる“畑”をつくること。
その覚悟と営みが、やがて人を育て、会社を育てる。
経営とは、すぐれた人を引き寄せることではなく、どんな人の中にも可能性を見出し、それを引き出せる土を耕し続けることではないだろうか。
まとめ
「優秀な人が辞める会社」と「普通の人が育つ会社」。この対比には、組織づくりの本質が詰まっている。表面的には人材の違いのように見えるかもしれないが、真に問うべきはその“土台”、つまり「育つ環境」があるかどうかだ。育つ環境とは、裁量を与え、挑戦を受け入れ、成長の兆しを見逃さない仕組みや文化を含んでいる。一方、優秀な人が辞める会社には、ルールで縛り、評価が不透明で、成長の機会を感じさせない空気が蔓延している。ここで見誤ってはならないのは、「優秀な人材がいないから業績が伸びない」のではないということだ。「育てる前提の空気」がないから、人が根を張れず、結果として組織が停滞してしまうのである。逆に、特別な才能がなくとも、環境次第で人は変わる。任され、見守られ、支えられることで、人は自ら責任を持ち、成長していく。その違いが蓄積され、数年後には「強い組織」か「消耗する組織」かという決定的な差を生む。つまり、会社の未来は「人材の質」ではなく、「環境の質」で決まるのだ。