
〜叱れない時代にこそ必要なリーダー像〜
ここ数年、若手社員の早期退職が増えたと感じていないだろうか。
入社3年以内の離職率は昔から一定程度あったものの、最近は1年、あるいは半年で辞めてしまうケースも珍しくない。その理由を聞くと、多くの経営者や管理職はこう答える。
「最近の若者は根気がない」
「叱るとすぐ辞める」
「仕事に熱がない」
確かに、そう感じる場面はあるかもしれない。
しかし、離職理由を本人たちに直接聞いてみると、もう少し違う現実が見えてくる。
「やっている仕事の意味がわからない」
「将来像が見えない」
「この人の下で働きたいと思えなかった」
そう、給与や労働時間よりも、「この組織で自分は成長できるのか」「この上司についていきたいのか」という“未来の絵”が見えないことが、大きな離職要因になっているのだ。
1. 叱れない時代の弊害 — ビジョンも語れなくなる
最近、多くの管理職や経営者が「叱ること」に極度に慎重になっている。
パワハラという言葉が世間に浸透し、叱る=リスクというイメージが強くなったことも背景にあるだろう。
しかし、この慎重さが行き過ぎると、別の問題が生まれる。
それは、若手社員への「方向性の提示」すら避けるようになることだ。叱らないことでトラブルは避けられるかもしれないが、指示や期待を明確に伝えないため、社員は何を目指せばよいのか迷う。結果として、上司は単に「怒らない人」になり、ビジョンを語る役割を放棄することにもつながる。
叱らない → 深く関わらない → 指示が曖昧になる → ビジョンを語らない
という負のループが現場で起きるのだ。
こうなると、現場は単なる「作業の場」と化し、社員は目標意識を失い、成長機会も減る。上司は嫌われないかもしれないが、「ついていきたい」と思われることもなくなる。さらに長期的には、組織全体の活力や方向性も失われ、経営者が描く未来像を現場に浸透させることが困難になる。
2. ビジョンを語れない原因は何か?
ビジョンを語るべきだと頭では分かっていても、多くのリーダーが実践できていない。
その原因はいくつかある。
- 自分のビジョンが明確でない
会社や部門の未来像を、自分の言葉で語れるほど整理できていない。経営陣から降りてきたスローガンを棒読みするだけでは、社員の心に届かない。 - 過去の経験からの萎縮
「熱く語ったら鼻で笑われた」「反発された」という過去の失敗がトラウマになり、前向きに語る意欲を削いでしまうことがある。 - 短期的な数字プレッシャー
日々の売上やKPI達成に追われ、長期の方向性を考える余裕がなくなる。数字のプレッシャーに縛られるあまり、将来のビジョンを描くことが後回しになってしまう。 - 語っても実現できないかもしれない恐れ
「夢物語と思われたらどうしよう」という不安が、自分の口を塞いでしまう。社員からの信頼や評価を気にするあまり、結果的にビジョンを語れなくなる。
さらに、現代の職場では、SNSや社内コミュニケーションの透明化により、発言がすぐに注目される環境も増えている。そのため、リーダーは「間違ったことを言えない」「後で批判されるかもしれない」という心理的負荷を抱えやすくなる。こうした環境的・心理的な要因が重なり、ビジョンを語る機会はますます減少しているのだ。
結果として、社員は方向性を理解できず、モチベーションの低下や離職につながる。リーダーが語れない未来は、組織全体の活力や一体感をも失わせる危険性がある。
3. 実際の事例 — ビジョンを語らない社長のもとで
私が指導しているある企業のケースです。ここに入った経緯は、実は幹部社員からの依頼でした。幹部たちは、社長に将来のビジョンや目標、会社の存在意義を明確に示してほしいと、何度もお願いしていたのです。しかし残念ながら社長はその声に耳を傾けようとせず、組織としての方向性は曖昧なままでした。
さらに、この会社では経営の判断を部下に委ねる場面も多く、意思決定が後手に回ることもしばしば。幹部社員たちは、外部の視点を持つコンサルタントを導入することで、会社としての判断軸を明確にし、組織全体を前に進めたいと懇願しました。
この依頼を受けて私が関わることになったのですが、初めは社内の緊張感や不安が色濃く、社員の多くは「どうせ何もかわらないだろう」と思っていました。
しかし、指導を開始して流れは少しずつできたものの、相も変わらず社長だけは自らのビジョンを語ろうとはしませんでした。その結果、優秀な若手社員が突然、退職届を持ってきたのです。まさか彼が辞めるとは思っていなかった幹部もショックを受けました。
さらにしばらくして、コンサルを入れる必要性を痛感していた幹部社員も退職することになりました。理由を聞くと、「社長がビジョンを語らない」「面倒なことには関わらない」といった社内の状況が原因でした。会社としての方向性が示されず、判断も人任せ、責任だけがのしかかる、その現実に、失望したのです。
この事例は、上司や経営者がビジョンを語れないことが、優秀な人材の流出につながる現実を如実に示しています。どんなに良い制度やプロセスを整えても、リーダー自身が方向性を示さなければ、組織は本当の意味で動かず、将来の成長も難しくなってしまうのです。
4. ビジョンがあるリーダーはなぜ強いのか
では、ビジョンを語るリーダーは、なぜ人を惹きつけるのか。
理由はシンプルだ。
「未来の意味付け」をしてくれるからだ。
若手は「何をするか」よりも「なぜそれをするのか」に動機づけられる。
同じ作業でも、
「売上を上げるため」ではなく
「この商品を通じてお客様の生活を豊かにするため」
と言われたほうが、やる気が湧くのは自然なことだ。
また、ビジョンは判断基準にもなる。
現場で迷ったとき、「私たちはこういう未来を目指している」という軸があれば、主体的に判断できる。さらに、ビジョンを語るリーダーは、組織の文化や空気まで変える力を持っています。単なる指示や命令とは異なり、共通の未来像を共有することで、チーム全体が同じ方向を向き、協力や連携が自然に生まれます。
困難な状況でも「なぜこれをやるのか」という理由が明確であれば、社員は迷わず行動でき、失敗しても改善のための試行錯誤が促されます。また、リーダー自身がビジョンを言語化し続けることで、社員はその価値観や考え方を学び、自らの行動に落とし込むことができるのです。こうした循環が生まれることで、組織は単なる作業集団ではなく、未来を創るチームとして強くなります。
5. ビジョンを語るためのステップ
ビジョンは「カッコいい言葉を考えればいい」わけではない。
実際に部下や若手に響くためには、次のプロセスが必要だ。
- 自分の中で本気で信じられる未来像を持つ
他人から借りた言葉は必ず見透かされる。 - 繰り返し伝える
一度言っただけでは浸透しない。朝礼やミーティングで繰り返すこと。 - 小さな成功事例を示す
ビジョンの一部でも実現した例を見せることで、部下は「本当に実現できるかも」と思える。 - 双方向のコミュニケーション
ビジョンを押し付けるのではなく、「どうすればこの未来を実現できるか」を一緒に考える姿勢が大事。
さらに、ビジョンを語る際には「言葉の選び方」も重要です。抽象的すぎる表現や流行のキャッチフレーズだけでは、社員には響きません。自分の経験や具体的な目標と結びつけ、現場の行動に直結する表現で語ることがポイントです。また、ビジョンを浸透させるためには、単に口にするだけでなく、日々の業務や意思決定に反映させることが不可欠です。
例えば、会議での判断基準やプロジェクトの優先順位にビジョンを反映させることで、社員は自然にその価値観を理解し、自らの行動に落とし込むようになります。このように、信念を持って語り、実行と結びつけるプロセスが、若手の納得感と組織全体の一体感を生むのです。
6. 若手が去る前に、リーダーがすべきこと
もしあなたの会社で若手が続けて辞めているなら、待遇や福利厚生だけでなく、「自分はビジョンを語れているか?」を自問してほしい。
ビジョンは、立派な経営計画書や格好いいスローガンである必要はない。むしろ、あなた自身の言葉で、熱を持って語ることの方が重要だ。叱ることをためらう時代だからこそ、ビジョンを通じて方向性を示す。それが、若手を惹きつけ、組織を強くする最短ルートだ。
さらに、ビジョンは一度語って終わりではなく、日常の会話や会議の中で繰り返し触れることで初めて浸透する。現場で迷いや衝突が起きたときこそ、ビジョンを軸に判断を示すことが重要だ。また、若手をビジョン策定のプロセスに巻き込むことで、単なる「上から与えられた目標」ではなく、「自分たちで作った未来」として主体的に動き始める。こうして、ビジョンは紙やスローガンではなく、日々の行動指針として息づくようになる。
まとめ
若手が「この職場で働き続けたい」と思うかどうかは、給与や制度よりも「この人と一緒に働きたい」と感じられるかどうかにかかっています。だからこそ、経営者やリーダーが示すビジョンの力が問われます。ただ立派な言葉を掲げるだけではなく、自分の体験や想いを込め、繰り返し語り続けることが重要です。叱ることが難しい時代だからこそ、ビジョンが「なぜこの仕事をするのか」「どんな未来を目指すのか」という意味付けを与え、若手が迷ったときの判断基準となります。人は意味を感じられれば努力を続けられるものです。だからこそ今日から、自分の言葉で未来を語り、チームに共有してみてください。それが人を惹きつけ、組織の文化を強くする第一歩になるのです。