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経営哲学の「証」とは

経営哲学の「証」とは

経営者とは、自らがその双肩に担う自社の発展・繁栄を常に考え続けています。そのために経営学を学び、計数力を身につけ、組織を彩る社風と財務諸表を紐解き、戦略・戦術・戦力のあらゆる角度から見えない真実を見つけ、看過できない問題とその原因を明確化して、進むべき「道しるべ」を紡ぎ出すのです。

当然、「間違う」ことは許されません。

私たちは「導かれる側」ではなく「導く側」なのです。導く側が間違った分析で答えを出したら、それを信じてついていく者たちからすればたまったものではありません。

つまり「間違うということ」は結果的に「嘘をついたこと」になってしまいます。

これは本当に怖いことです。

組織を率いる経営者は、それが過たぬものであることを前提としなければならない立場です。

だからこそ知らねばならないことがあります。

それが「理証」「文証」「現証」と呼ばれるものです。「三証」といいます。

1つ目は「理証」。

その事柄が「理に適っているか」「筋道が通っているか」を指します。つまり法に触れるものであったり、約束・ルールを無視するものであったり、著しく公平性を欠くものであれば、聞く耳を持つ者など決していません。

歴史上に暴君として名を残す為政者は、みな理証に叶わぬものを押し通そうとして身を滅ぼしていったのです。

2つ目は「文証」。

その事柄にきちんとした「裏付け」「証拠」があるかどうかを指します。単に正論というだけではダメです。自分の価値観だけの正論は、単なる「正義感」の産物であって決して「正義」ではありません。

「なぜそうなるのか」「なぜそう言い切れるのか」「なぜそのような結論になるのか」「なぜそう判断したのか」等々、ひとつひとつに納得性を持たせるためには、目に見える「証拠(論拠)」が必要ということです。

3つ目が「現証」。

上記2つで証明された事柄が、現実の実践の中で内容通りに進行し、その通りの成果(結果)が生まれるかどうかを指します。言われていることは確かに素晴らしいが、いくらその通りにやっても結果が出ない…これでは単なる観念論であって経営においては何の役にも立ちません。

むしろ害をもたらすでしょう。経営者としての自身が望む結果こそがゴールであり「目的」だとするならば、実戦における「現実の証」こそがもっとも大切な証といえましょう。

三証は経営者としての基本哲学であることは言うまでもありませんが、経営者だけが知っておけば良いわけではありません。日々の教育を通して社員たちに伝え、形は違えど日常の業務の中で生かしてもらわねばならないのです。

正しい概念の徹底もまた経営者の大切な志事のひとつといえるでしょう。

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