商取引における「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」という「三方よし」の理念は、近江商人の経営理念に由来します。これは、単に売り手と買い手だけでなく、その取引が社会全体の幸福につながるものでなければならないとう意味ですね。
旧名を近江という現在の滋賀県に属する地域からは、江戸時代から明治期にわたって近江商人と呼ばれる多くの大商人が次々に出現しました。
彼らは近江に本宅を構え、行商の初期には上方の商品と地方物産を取り扱う商いに従事し、資産ができると要地に複数の出店を築き、大規模化した商法を店舗間で実施して、さらに大きな富を蓄積します。
近江商人という人々は、地元の近江を活動の場とするのではなく、近江以外の場所で活躍し、原材料(地方物産)の移入と完成品(上方商品)の移出を手がけ、現在の日本の経済と経営を先取りするような先進的な商人であったそうです。
近江外での他国行商を本務とした近江商人は、行商先の人々の間に信用という目に見えない財産を築いていかなければなりませんでした。
彼らの商いは、一回きりの売込みではなく、自分が見込んだ国や地域へ毎年出かけ、地縁や血縁もないところに得意先を開拓し、地盤を広げていかなければならないのです。
異境を行商して回り、異国に開いた店舗を発展させようとする近江商人にとって、もともと何のゆかりもなかった人々から信頼を得ることは容易なことではありません。
その他国商いのための心構えを説いた近江商人の教えが、現代で「三方よし」という言葉に集約して表現されるようになったのですね。
この言葉の直接の原典となったのは、宝暦4年(1754年)に当時70歳だった中村治兵衛宗岸(そうがん)が15歳の養嗣子(ようしし・後継ぎとして迎えた養子)への書き置きとして残した一節とされています。
その一節を通解してみましょう。
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他国へ「持ち下り商い」に出かけた場合は、持参した商品に自信をもって、その国のすべての人々に気持ちよく使ってもらうようと心がけ、その取引が人々の役に立つことをひたすら願い、損得はその結果次第であると思い定めて、自分の利益だけを考えて一挙に高利を望むようなことをせず、なによりも行商先の人々の立場を尊重することを第一に心がけるべきである。
欲心を抑え、心身ともに健康に恵まれるためには、日頃から神仏への信心を厚くしておくことが大切である。
連綿と伝えられてきたその極意は、250年以上経った現在においても、いささか変わらぬ輝きを放っていますね。