
新しいルールを導入した直後、現場は一度は動く。
「今度こそ会社が変わるかもしれない」
そんな期待や、社長の強い号令に押されて、表面的には指示通りに回り始める。
だが、その熱は長く続かない。
一ヶ月も経たないうちに、現場は静かに、しかし確実に元のやり方へ戻っていく。
誰かが「やめよう」と言ったわけではない。
ただ、誰も続けなくなっただけだ。
なぜ、仕組みは文化になる前に止まるのか。
理由ははっきりしている。
判断と決定が、結局すべて社長に集まっているからだ。
「任せた」と口では言う。
だが実際には、細かな点が気になって口を出し、最終判断は必ず社長が下す。
その瞬間、現場は学習する。
「考える必要はない」「どうせ最後は社長の判断待ちだ」と。
こうして管理職の仕事は、意思決定ではなく社長への説明資料づくりに変わる。
現場を良くするための工夫ではなく、
「社長にどう説明すれば通るか」を考える時間だけが増えていく。
この状態では、仕組みは動かない。
いや、正確に言えば「動いているように見えるだけ」だ。
次に起きるのが、権限と責任の不一致である。
新しいルールでは責任だけが現場に降りてくる。
だが、決める権限は与えられていない。
その結果、管理職の口から出る言葉は決まっている。
「それは私の判断では決められません」
「社長に確認しないと進められません」
責任はあるが、裁量はない。
判断基準も、評価軸も、社長の頭の中にしか存在しない。
この宙ぶらりんな状態で、誰が本気で仕組みを守ろうとするだろうか。
現場に残るのは、「失敗したら自分の責任になる」という恐怖だけだ。
そして、最も致命的なのが「任せる覚悟」が存在しないことである。
任せるとは、丸投げでも放任でもない。失敗する権利を渡すことだ。
多少の遠回りや失敗を、組織の学習として受け止める覚悟を持つことだ。
だが多くの会社では、トラブルが起きた瞬間に正体が露呈する。
管理職は責任を回避し、社長は「なぜうまくやれないんだ」と現場を叱責する。
これでは誰も挑戦しなくなる。失敗しないために、何もしない。
目立たず、波風を立てず、嵐が過ぎるのを待つ。
正直に言えば、現場は社長の言葉ではなく、行動を見ている。
もう一つ、見落としてはいけない現実がある。
それは、組織だけでなく、社員自身も“慣れてしまっている”という事実だ。
長年、同じ判断の流れ、同じ責任の曖昧さ、同じ空気の中で働いてきた社員は、その環境に最適化されている。
自分で考えないこと。
余計なことを言わないこと。
波風を立てず、前例に従うこと。
それが、この組織で生き残るための「正解」だと、身体で覚えてしまっている。
そんな状態で、いくら新しい制度やルールを入れても、結果は決まっている。
最初は戸惑いながらも、社員は無意識のうちにこう判断する。
「様子を見よう」「どうせまた戻る」「今回も長くは続かない」と。
制度が止まるのは、社員が怠けているからではない。
慣れた組織に、慣れた社員がいる限り、変化は異物でしかないからだ。
人は、安心できる環境に戻ろうとする。
不完全でも、非効率でも、先が読めるほうを選ぶ。
だからこそ、この状態では、いくら制度を重ねても、最後は必ず元に戻る。
文化とは、制度が続いた結果として生まれるものではない。
覚悟ある行動が、時間をかけて染み込んだ結果である。
そこを変えずに、形だけを入れ替えても、組織は何も変わらない。
今回の改革も、どうせ三日坊主だろう。
そう確信した現場は、表面上だけ従い、本音では距離を取る。
ルールが文化になる前に止まるのは、制度が悪いからではない。
土台である経営の姿勢が、最初から問われていないからだ。
仕組みは、文化になって初めて力を持つ。
文化とは、誰かが見ていなくても守られる状態のことだ。
その状態をつくるために必要なのは、
制度でもマニュアルでもない。
社長が、
「決めない覚悟」
「任せきる覚悟」
「失敗を引き受ける覚悟」
を持てるかどうか。そこを変えない限り、どんな立派な制度を入れても、会社は必ず元に戻る。
ここまで読んで、「うちも同じ状態かもしれない」「制度は入れたが、結局元に戻っている」
そう感じたなら、問題は制度そのものではありません。多くの会社がつまずくのは、仕組みが文化になる前に止まってしまう構造に気づけていないからです。
なぜ、ルールは続かないのか。
なぜ、任せたはずの組織が社長依存に戻るのか。その構造を整理した内容を、こちらで詳しくまとめています。