
今、日本中の中小企業が「人手不足」「若手が定着しない」「社員のやる気が続かない」と嘆いている。
人が辞めれば、残った人に負荷がかかる。負荷が増せば、雰囲気が悪くなる。雰囲気が悪くなれば、また辞める――この負のループが、どれほどの現場を疲弊させているか。
だが、私は思うのだ。
“やる気がない社員”が増えたのではない。“やる気を奪う組織”が増えただけだ。
今こそ、問いたい。
あなたの会社で、社員の努力は“見える化”されているか?
社員の頑張りに、きちんと“称賛”が届いているか?
たとえ制度やルールを整えたとしても、人の心が動かなければ、組織は育たない。
では、どうすれば人の心は動くのか――その答えは「可視化」と「称賛」にある。
誰も見ていない努力は、やがて“やる意味”を失う。
社員がやる気をなくす原因は、仕事がキツイからでも、給料が安いからでもない。
本質的な原因は、「誰も自分の努力を見てくれていない」と感じたときに訪れる“無力感”だ。
たとえば、ある現場社員が、毎朝みんなより30分早く出社し、黙ってトイレ掃除をしていたとしよう。
それを誰かが見ていて、ふとしたタイミングでこう伝えたとする。
「○○さん、いつもトイレきれいにしてくれてありがとう。気持ちいいよね、会社が」
――それだけで、その社員の心はまったく違ってくる。
「見てくれてる人がいる」「自分のやっていることに意味がある」と感じられるからだ。
しかし、誰も気づかなければ?
「別に誰も見てないし、やらなくていいか」となるのが人間だ。
実際には、そういう“裏方の努力”ほど目立たない。
けれど、そうした仕事こそ、会社の日常を支えている“空気のような価値”なのだ。
真面目な人ほど、声を上げない。
「私がやりますよ」と言わずに、誰もやらないことを当たり前のようにこなしている。
だからこそ、見てあげなければいけない。気づいてあげなければいけない。
「ありがとう」「助かったよ」――この一言があるだけで、心は救われる。
それがないまま時間が過ぎれば、“静かな挫折”が積もっていく。
ある日突然、「もう限界です」と辞表が出される。
その時、上司や経営者は「まさかあの人が?」と驚くが、本人にとってはずっと前から気持ちは決まっていたのだ。
離職のきっかけは、爆発ではない。
“誰にも気づかれなかった日々の積み重ね”こそが、心を離れさせる真の原因なのである。
「称賛」は、コストゼロの最強の報酬である
人は、“誰かに認められたい”という承認欲求を持っている。これは甘えでも贅沢でもない。人間関係を築くうえで、ごく自然で、健全な欲求だ。
実際、どれだけ物理的な報酬――給料や手当、福利厚生――が整っていても、「自分が大切にされている」「見てもらえている」という実感がなければ、人はやがて心を離していく。
「よくやってくれた」
「助かったよ、ありがとう」
「君がいてくれて本当によかった」
このたった一言が、何日分、何ヶ月分の疲れを吹き飛ばす力を持つか、経営者であるなら一度は実感したことがあるはずだ。
むしろ怖いのは、成果が出ているにもかかわらず、まったく称賛の言葉がない職場だ。
そんな会社では、社員の内面に「この努力には意味があるのか?」という不信感が芽生えていく。
そしてこの芽は、静かに、しかし確実に心を蝕む。
称賛は、何も大げさな表彰式を開けという話ではない。
“努力を見ているよ”という、ごく自然な一言でいい。
たとえば、昼休みに隣に座った時にふと「最近、現場よく見てるよね。みんな感謝してると思うよ」と声をかける。
帰り際に「今日、急な対応してくれて助かった」と軽く一言添える。
たったそれだけで、人は「見てもらえてる」と思えるものなのだ。経営とは、「人の心を動かす仕事」だ。
そして、称賛こそが、その“心のエンジン”に火をつける最もシンプルで力強い燃料である。

「見える化」と「称賛」の仕組みを持て
努力を可視化し、称賛を習慣化するには、「感覚」や「思いつき」では動かない。
それが一時的な“気まぐれ”で終わってしまっては、むしろ逆効果だ。
継続的に社員が「見てもらえている」「認めてもらえている」と感じるには、“仕組み化”が不可欠である。
たとえば、
・称賛ノート(サンクスカード)
社員同士で「ありがとう」「よかった点」を紙に書いて、共有ボードに貼ります。
毎月、最も多く称賛された人を紹介するなど、全体で讃える空気をつくることができます。
・努力が見えるホワイトボード
毎日の業務や小さな工夫を「見える言葉」にして書き出します。
たとえば「あいさつ運動実施中」「今月の清掃当番の工夫」など、地味な取り組みも可視化されるようにします。
・朝礼や終礼での称賛タイム
たった3分でかまいません。「昨日の○○さんの対応、助かりました」と伝える時間を設けましょう。
それを聞いた他の社員にも、「良い行動のモデル」としての学びが生まれます。
大切なのは、「称賛の言葉」を“個人の性格”に任せないことだ。
“気づける人だけが気づく”では、見逃される努力が必ず出てくる。
だからこそ、仕組みとして組み込む必要がある。
逆に、「頑張った人だけが損をする」「黙ってやる人が報われない」――そんな空気が漂う職場は、時間とともに静かに崩壊していく。
社員の信頼は、制度や給与の前に、「公平な承認」の土壌の上に育つのだ。
“称賛される経験”が、社員の定着を決める
中小企業において、若手社員が3年以内に辞める最大の理由は、「ここにいても成長できないと思ったから」と言われる。
だが実際、その“成長”とは何を意味しているのか?
多くの若手にとって、それは「スキルアップ」や「資格取得」よりも、「誰かに認められる経験」があるかどうかで判断されている。
つまり、「ここにいても誰にも気にされない」「がんばっても無反応」と感じたとき、人はその場所に未来を感じなくなるのだ。
逆に、どれだけ地味で、単純で、表に出ない仕事であっても、先輩や上司から
「君のおかげで現場が助かってるよ」
「最近、すごく成長したね」
そんな言葉をもらった経験がある人は、「自分の存在がこの会社に意味を持っている」と実感できる。
それが、定着を決める“情緒的な根”になる。
この“称賛の体験”は、一度でもあれば、人は会社に情を持つ。
理屈や待遇だけで動かない“感情のつながり”こそが、今の時代の人材定着には欠かせない。
どんなに仕組みを整えても、「誰にも見られていない努力」が続けば、社員は根を張る前に去っていく。
だが、“見てくれている誰かがいる”という確かな手応えがあれば、人は厳しい環境でも踏ん張れる。
称賛とは、単なる励ましではない。人を組織に留める「目に見えない絆」なのだ。
最後に――組織を変えたいなら、目の前の努力を見よ
経営とは、制度づくりでもなければ、数字を追いかけることが本質ではない。
“人の心”を束ね、前に進ませることが、経営の真の使命だ。
売上や利益は結果にすぎない。
その前にあるのは、毎日現場で働く一人ひとりの「今日もやるぞ」という、たった一滴の“やる気”の積み重ねである。
人は、数字よりも先に、心で動く。
そしてその心は、「誰かが自分を見てくれている」「自分の頑張りには意味がある」と実感できたとき、はじめて本気で燃え上がる。
社員のやる気がないわけではない。
ただ、日々の努力が“誰にも届いていない”ことに、心が静かに折れているだけなのだ。
称賛の文化がある会社は、人が辞めない。
称賛の仕組みがある会社は、人が育つ。
そして、“称賛できる組織”は、空気があたたかい。
この“空気感”こそが、採用費をかけても得られない最大の競争力となる。
人は、制度よりも「空気のいい場所」に残るのだ。
改革は、大きな予算も制度もいらない。
まずは、あなたが「目の前の誰かの努力」に気づき、「ありがとう」を言葉にすること。
その一言が、相手を動かし、職場を変え、組織の空気をつくっていく。
今日も出社してきた社員に、何を伝えるか。
その言葉が、会社の未来を変えていくのだ。