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その一言が組織を腐らせる――「無理」「できない」を口にする管理職たちへ

管理職と話をしていると、驚くほど安易に「無理です」「できません」と言う人がいる。
それが何気ない会話の中ならまだしも、部下の前で、あるいは会社の方向性を決める会議の場で、堂々とその言葉を発する人すらいる。私はそうした場面に何度も遭遇してきたが、正直なところ、その瞬間に「この人は管理職ではない」と感じる。

つい最近も、ある企業で同様の出来事があった。

その会社ではこれまで、売上や利益といった「数字」を前提に会議をしたことがなかった。何となくの肌感覚、現場の感情、なんとなくの経験論で物事が進められ、経営の意思決定が行われていた。経営の数字は、経理部門だけが知っていて、管理職ですら共有されていないという状態だった。

そこで私は、社長に提案し、経理に依頼して会社の現状――売上・利益・固定費・限界利益――そういった基本的な経営指標を整理してもらった。そして、決算期までにあとどれくらいの売上と利益が必要なのか、そのためにどんな施策を打たなければならないのかを、全管理職を交えた場で共有した。

ところがである。

数字を提示した瞬間、多くの管理職から一斉に出た言葉が、「無理です」「できません」「そんなこと言われても……」だった。
私からすれば、「え?今なんて言った?」という感覚だ。

なぜなら、提示した数字や目標は、もともと彼ら自身が「目標」として設定し、社長が了承していたものなのだ。つまり、誰かが一方的に押し付けたものではなく、彼らが「やる」と決めた数字なのだ。それにも関わらず、いざ現実的な数値として出されると、「できない」「無理」……。

私は、つい声を荒げて言った。

「ふざけるな。この数字は君たちが作ったんじゃないのか?やると決めたのは君たち自身じゃないか。それを今になって『できない』とはどういうことだ。」

議事録を取っていた若い社員の顔が明らかに曇っていた。
その表情には「あきれ」と「落胆」が混じっていたように思う。
――部下は、見ている。上司の言葉も、姿勢も、すべてを。

管理職の「言葉」は空気をつくる


管理職が放つ言葉は、単なる個人の意見ではない。
それは“組織の姿勢”であり、“会社の風向き”そのものだ。

「できない」「無理」「しょうがない」――こうした言葉は、挑戦の芽を摘み、創意工夫を封じ、責任感を腐らせる。口にしたその瞬間から、組織全体に“やらない理由”が蔓延していく。
上司が「できない」と言った仕事を、部下が本気でやろうとするだろうか?
「無理」と言い切るリーダーの背中を見て、誰が前に進もうとするだろうか?

管理職とは、“やる方法”を考え抜く役職である。
「難しいから考えない」「前例がないからやらない」では、いつまで経っても何も変わらない。
むしろ、「どうすればできるのか」を必死に考え、障害を取り除き、道を拓いていくのが本来の役割のはずだ。

そもそも部下たちは、常に上司の“言葉の温度”を感じ取っている。
その言葉に覚悟があるのか、逃げがあるのか、他責か自責か――敏感に見ている。
だからこそ、管理職が使う言葉には“組織の未来を左右する責任”がある。

たとえば、同じ結果に対して「やっぱり無理だったな」と言う人と、「まだ足りなかった。次はどこを変えようか」と言う人では、まったく意味が違う。
前者は思考停止で終わるが、後者は挑戦を続けるマインドを周囲に残す。

言葉は、思想であり、文化である。
管理職が“言い方”一つで組織の「限界値」を引き上げることも、逆に「言い訳の文化」を根づかせてしまうこともできる。
つまり、言葉は空気をつくり、その空気がやがて会社の色を決めていくのだ。

言葉の責任を自覚せよ

売上をつくるのも、人が辞めるのも、すべては“現場”の中で起きている。
そして、その現場の空気をつくっているのが、管理職の「言葉」だ。
「できるかできないか」ではない。「やるのかやらないのか」。
現実が厳しいのは誰だって知っている。だが、その現実の前で言葉を選び、姿勢を示すのが“責任者”という役割だ。

例えば、売上が伸び悩んでいるとき、現場が疲弊しているとき。
管理職が「今は仕方ない」「限界だ」と言えば、その瞬間から現場は“耐える空気”に包まれ、守りに入る。
だが、同じ状況でも「ここからが勝負だ」「俺たちで変えよう」と言えば、空気は前を向く。
たった一言で、売上をつくる行動か、言い訳を探す空気か、180度変わってしまう。

人の定着も同じだ。
辞めるかどうかを決めるのは、待遇や制度よりも“人間関係”だ。
その人間関係の中心にいるのが管理職であり、その言葉こそが、部下の心を動かす。
「お前に期待してる」「困ったらいつでも言ってくれ」
そんな一言が、人を会社に残す。
逆に、「やる気あるのか?」「何回言わせるんだ」という言葉の連打は、人の心を冷たく凍らせる。

管理職の言葉が、業績も人も動かしている。
経営者が何を語ろうと、現場の温度は現場のリーダーで決まる。
だからこそ、言葉の責任を忘れてはいけない。
その一言が、会社の未来を明るくもすれば、暗くもするのだ。

若い社員は、黙ってすべてを見ている

若手は何も言わない。けれど、すべてを見ている。
そして、見ているだけでなく、“感じて”いる。
上司たちが、厳しい現実を前にして「無理だ」「できない」と言い合うその姿に、彼らは言葉にならない失望を覚える。
「この人たちでもこうなのか……」
「こんな会社に未来はあるのか?」
誰もが言葉にしないが、その空気は確実に伝染し、心の深い部分に染み込んでいく。

若手にとって、管理職は“未来の自分の姿”でもある。
その人たちが現実から目を逸らし、責任を避け、逃げ口上ばかりを並べていたら――若手は夢を持てるだろうか。
「ああはなりたくない」
そう思わせてしまった時点で、その組織の“未来の芽”は摘まれてしまうのだ。

そして厄介なことに、この影響は“すぐには表面化しない”。
若手はとりあえず目の前の仕事をこなす。笑顔もつくる。報連相もする。
しかし心の奥では、少しずつ温度が下がっていく。
気づけば何かに挑戦することをやめ、指示待ちになり、やがて「どうせ言っても無駄」というあきらめに染まっていく。
これこそが、組織をじわじわと腐らせる“無言の退職”である。

だからこそ、管理職は自分の言葉に責任を持たなければならない。
その場しのぎの発言が、若手の心にどれほど影響を与えるか、自覚しなければならない。
「できない」「無理」と言いたくなる時こそ、踏みとどまり、未来に向かって言葉を選ぶ。
それが“人を育てる”ということだ。

最後に

本当に「無理」かどうかは、やり切った者にしかわからない。
それでも、最初の一歩を踏み出す前から口にする「できません」は、単なる逃げでしかない。
そしてその逃げは、本人だけでなく、部下や組織全体に“あきらめの空気”を感染させてしまう。

管理職は、理不尽を飲み込み、不確実と向き合い、時には部下の盾となって現場に立つ存在である。
それができないなら、その椅子に座る資格はない。
求められているのは完璧さではない。失敗しても折れず、周囲を励まし、立て直していく粘り強さと、最後までやり抜こうとする執念だ。

部下は、管理職の言葉を聞いているのではない。
“その背中”を見ているのだ。
どんな状況でも逃げず、前を向いて歩き出す上司の姿は、言葉以上に力を持つ。
「この人についていこう」と思えるかどうか。それが、組織の未来を決める。

だからこそ、言葉は選べ。
「無理」と言いたくなる時こそ、未来を信じて「やってみよう」と言える勇気を持て。
それが、管理職としての“最後の責任”だ。

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