コンサルタントは体裁のよい話をするだけだと思っていた
私が川原社長と最初にお会いしたのは2年前になります。当時は利益が伸び悩むなか事業承継で悩んでいたところを、知人から「マネジメントオフィス・K」というコンサルタント会社があると紹介していただいたのが始まりでした。
川原社長との初対面の印象は、ひと言で言えば「燃える闘魂」。…とまではいかないですが、「やるぞ!」というオーラに満ち溢れていたのを覚えています。
コンサルティングでは、はじめに社員全員と面談が実施され、社内の状況や組織の実態が調査され、社内に蔓延る問題点が丸裸にされました。
正直、私のコンサルタントのイメージは、体裁のよい話をするだけで実質を伴わず、無駄に振り回されるではないかと思っていましたが、川原社長は、それとは真逆に、ここまで親身にしてもらって大丈夫なのかとこちらが心配するほど、ときには厳しくときには優しく、親のように寄り添い、接してくださるのでした。
私は経営者として「経営とは何か」という哲学から教わりました。役員幹部は経営陣としての考え方を叩きこまれ、従業員は、原価管理の仕方や営業の実務、組織としてのあり方まで、未熟な部分を一つひとつ丁寧に指導していただきました。その結果、売上は下がったものの(これは意図したものですが)、利益は昨年比で2.5倍に回復し、また悩みでもあった古参役員や幹部との関係も、いまは良きパートナーと呼べる関係になりました。
食品製造加工会社 代表取締役 N.S
モノ作りの基本は相手を思いやる気持ち
弊社は建材及び店舗の内装材を製造・販売する会社です。経済が下り坂になり、取引先も担当人事が若返り、年々状況が厳しくなってきているのに、それでも「経費を減らせば何とかなる」などと安易に考えていました。
しかしその見通しは甘く、問題が次々と噴出してきます。原価や経費は膨らみ、高齢化にともなう技術継承もできておらず、いつの間にか「当たり前のこと」が当たり前にできない会社になっていました。社長に就任したばかりの私は、どこから手を付けていいのか分からず悩んでいました。そんなときに知り合いから紹介を受けたのがマネジメントオフィス・Kの川原代表でした。
最初の数カ月は、工場内の原価管理や生産管理の仕方、それから人として組織としての考え方を指導されました。目に見える改善としては、5Sや「報連相」が定着し、幹部どうしのくだらない会話も、組織や原価、工程の問題点等についての話題が飛び交うようになりました。
いまでは川原代表の指示を受けながら改善に取り組んでいたものが、指摘を受ける前に各人が率先して課題を見つけ、取り組むようになりました。モノ作りの基本は相手を思いやる気持ちで成り立っていることを心に留め、本当の意味での改善に向けて頑張っていきたいと思います。
材料製造業会社 代表取締役 H.T
この人の前ではウソをつけない…
わたしは大手企業に勤めていましたが、会社の方針や方向性に疑問を抱き、仲間3人で創業しました。
創業当時は社員との意思疎通がとれており、仕事も順調でした。しかし年数を経て、社員の数が増えるにともない、歯車が狂い始め、売上1億5千万に対して約2千万円という大きな赤字を出してしまい、幹部社員も相次いで離脱していきました。
「何とかして売上をあげて、利益を出さなければ…」と迷走していたとき、マネジメントオフィス・K代表の川原氏と出会いました。
川原氏には、人間関係を中心に部下との確執や指示命令系統にいたるまで、コンサルティングの枠を越えたサポートを受け、まるで社内を覆っていた梅雨の雲間に差し込んできた初夏の陽光のような印象を受けました。社員も様々でしたが、問題があっても「我、関せず」という態度の社員や自己主張のみを繰り返し社内の雰囲気を壊していた社員などは自然と去っていきました。
しかし不思議なことに、残った仲間のところには、新規顧客が集まってきて、新規採用も当たり前のように決まっていくようになりました。数字的にも、売上は次の年には3億と倍増し、利益も8%を確保できました。その後、自営業から株式に組換して2年目に入りますが、いまでは社員数も30名に達し、創業当時は間借りしていた工場ですが、いまでは200坪相当の敷地のうえに2棟借りるようになりました。
金属加工製造業会社 代表取締役 K.T
本音で語り合える関係に…
4年前に入社、現職に就き、後継者としての道を進み始めました。当時27歳の私は、仕事においても、人間関係においても、スキルや知識を最重要視していたと思います。
上に立つ人間は、人より多くの知識やコミュニケーションスキルがなければならないと思い込んでいたのです。未経験の業種であるにもかかわらず、立場は上、というかたちで今の会社に入った私は、仕事の業務を覚えることには必死でしたが、そもそも私に求められていたことは、そうした従業員の仕事でなく、経営者としての心でした。
幹部役員やベテラン社員とのコミュニケーションがうまく取れず、そんな悩みを抱えていたとき、マネジメントオフィス・Kの川原代表に出会いました。川原先生の親身な指導は昼夜を問わずバンバン飛んできます。言うべきときに言うべきことを言う、動くべきときに動くべき行動をとる、というシンプルなことを身をもって教えてもらいました。この出会いによって、かけがえのない仲間を得た私は本当に幸せ者です。この感動を一人でも多くの方に伝えたいと思います。
総合不動産業会社 代表取締役 N.T
日夜眠れない日が、眠れる喜びに変わる日
マネジメントオフィス・Kさんとの出会いは金融機関からの紹介でした。私が43歳の時に先代から譲り受け、何事もなく事業を営んでいましたが、30億もあった売上が20億にまで落ち込みました。当然売上もさることながら、ちょくちょくと資金ショートをおこすようにもなり、資産の売却やリストラを進め、それでも何とか持ちこたえてきたのです。
私はコンサルタントに対しては、少し偏見をもっていて机上で説明されるだけ、会議に出席して聞くだけかと思っていました。だから失礼ながら川原さんに対してもそのような目で見ていたことは事実です。
川原さんの指導は最初の2カ月は、部署ごとの問題、個人の問題にまで指導し、これで良くなるのかなと疑問に思っていましたが、3カ月目から不思議なことに、互いの部署、上司と部下との連携が取り始めたのです。そして4カ月目以降になると、利益をどのようにしたら取れるのかなど、あれだけ私が口酸っぱくなって「利益」と言ってきたことが、僅か4カ月で出てくるようになったのです。5カ月以降になると目標利益が共通言語にかわり、1年後には売上は前年度とかわらないのですが、利益は苦しんでいた時の1.8倍にもなり、資金ショートもしなくなりました。これから先は何が起こるのかは不安ですが、布団の中で眠れる日があるだけでも幸せです。
総合建設業 代表取締役 S.T
どん底から奇跡の復活
僭越ながら社長の代わりに、私がマネジメントオフィス・Kさんのことについてお話をします。弊社の社長は7年前に原因不明の病に侵され、それ以降会社に来る日が月に1回、多くて2回ぐらい出社するのですが、長時間椅子に座っていられず、出社しても数時間で退社するようになったのです。当社はメンテナンス以外に工事も新規で受注するのでが、20%~30%の赤字での受注、経理部からは資金繰りが苦しいと言ってくるのは当然の話です。常に資金繰りが苦しい状況なので、メイン銀行をはじめとした他行ふくめて4行の金融機関からは、引き上げの話をしてくるのです。もう駄目かなと思った次の日の朝礼に、社長と川原さんがいたのです。
川原さんは翌日から積極的に金融機関の対応をはじめ、同時に各役員や従業員との面談をし始めました。隣の部屋で川原さんが面談しているのですが、時には大きな声が聞こえたり、面談が終わった社員の顔を見ると涙している人がいるのです。私の時の面談は叱られましたが・・・
会社は確かに川原さんが入ったことで、変わってきたことは確かです。その年の決算で営業利益が4千万計上されたのです。この7年常に赤字できたのに。これは奇跡としか言いようがないのです。その後は言わなくても分ると思いますが、資金繰りが改善され、金融機関からは追加融資の話で会社は盛り上がり、次の年の決算は営業利益が6千万計上するようになりました。今では会社は安定しています。
メンテナンス会社 取締役 T.K